若い時の苦労は買ってでもせよ、と良く親に言われました。
別に自分の苦労話をして、苦労したから今は成功した、何てエラソーに言うつもりはあり
ません。
義母が生存中に、毎年毎年身体が衰えて来るとよく言ってました。
確かに旦那と結婚して十数年間、義母は小さな身体で元気良く機敏に動き回っていまし
た。
義母は、旦那が小さい頃は義父が仕事が早い時間で、自分の子供2人と親戚の子供を4人
育てていたから毎朝4時に起きて義父のお弁当を作って・・・・roro(
本人さん)よりもずっと苦労してきたと延々と言ってroroは話を聞いていました。
母は学校に通っていた時は学校まで1時間歩いた、と、義母も母もroroに繰り返し話して
いました。
お二人とも子供の頃からかなり足腰が丈夫で、もしroroと同じ年代だっroroは1時間も歩
けないし、毎朝4時おきに弁当を作って子供6人の世話なんてとてもできません。
けれども寄る年波にはかなわなくて二人はいつの間にか、ヨタヨタと歩くようになりまし
た。
足腰を鍛えていた二人が足腰が弱るのだから、足腰を鍛えていないroroは高齢になったら
どうなるのだろう?
例えば今の年齢で子供を産むなんてしたらもうできませんよ。
初産は遅い方で30代前半でしたが、末子を産んだ時は40代に手が届きそうな年代で、
経産婦だから末子の出産は楽勝かと思ったら、陣痛の痛さに耐えられなくて先生に何度か
「とても痛いので痛み止めの注射か麻酔して帝王切開してください」と何回も頼みました
が、帝王切開はすぐに終わるけど、後で凄く痛い思いをするからお勧めできません、と断
られてしまいました。
年齢とともに痛みを耐える力がなくなったと末子の出産で実感しました。
3年前にインフルエンザになった時はしばらく起こらなかった喘息で苦しくなり、子供の
時は近くに大病院がなかったので喘息で苦しい時は入院して点滴も打てずに一晩じゅう喘
息でもがき苦しんで、次の日は学校を休んで、肩で息をゼイゼイ吐きながら近くの医院に
行きました。
医院には喘息の点滴がなくて、いつも注射をしてもらってしばらく休んでから心の準備
をして医院からでて、息を切らしながら家まで歩きました。
ですから苦しい時は早く注射して欲しいので、注射の痛さなんてどうってことありません
でした。
何せ痛みよりも苦しみの方が強かったからですからね。
インフルエンザの時の久々の喘息の苦しみは子供の頃の喘息の苦しみを思い出して、末子
の出産同様に耐えられなくなり、年で体力が落ちたとしみじみ思いました。
出産とインフルエンザ時で苦しみになんとか耐えられたのは、過去に喘息発作の時に頑張
ったという記憶が身体で記憶していたからかもしれません。
大人になってから初めて喘息を経験された方は無理をしないで救急車を誰かによんでもら
ったりして病院で点滴や酸素吸入や、喘息の吸入をなされば最初の数日間は息苦しいでし
ょうけれど、後は徐々に楽になっていきます。
熱中症は大人になってから初めてなりましたが、年をとってからの病気はこたえますね。
ふんばりがきかなくなります。
若い時の苦労は買ってでもせよ、というのは、勉強とか部活や仕事などを前向きに頑張る
事なのでしょうか?
あまりにも異常な指導者とかブラック企業には勿論頑張り過ぎると命にかかわるので、そ
れは絶対辞めた方がいいと思います。
年老いた母親がいるので年とって身体が動かない、と泣き言を言ってる場合ではありませ
ん。
庭のプランターのオクラで納豆ご飯を作って食べました。
オクラの大きさは、20センチ×2.5センチと巨大なオクラです。
小口切りにして耐熱容器に切ったオクラを入れて、塩少々と水少々を入れてラップして
30秒位加熱して、水気を切って納豆ご飯にかけて食べます。
納豆とみょうがと庭のプランターで栽培したオクラとエゴマとミニトマトを入れました。
納豆は子供の頃から大好きで、おやつがわりに納豆ご飯を食べた事もあり、今もお腹がす
いた時や冷蔵庫に食べ物がない時は納豆ご飯を食べてます。